文体

明治期から言文一致運動が興ったようなことを学校で習うので多くの人は現代の文章は言文一致体で書かれていると思っているのかもしれないが、少し物の本でも読めば現代日本語では言文一致体というのは確立されていないことが分かる。そもそもちょっと考えてみれば、書き言葉と話し言葉が違ったスタイル(文体)で出来ていることはすぐ判るだろう。書き言葉をそのまま話して、逆に話し言葉をそのまま書いて、自然であることはまずない。つまりいわゆる言文一致体というのは新しい文語に過ぎないということのようだ。そしてその『文語』はまだ未成熟だと。


日本語は論理的文章を書くのに向いていないということがしばしば言われる。では情緒的文章に優れているのかといえば、少なくともかつての和文体には遠く及ばない。そういう中途半端などっちつかずな状態に現代の『文語』はあるのではないか。


言語と思考は切り離せるものではないのだからその言葉で語られる思想にばかり注目するのではなくその思想を語る言語のスタイル、形式といったものにもっと目を向けていい。