個性論

ある人もしくは物を他と分ける特性を個性というようですけれども実際の使われ方としては中でも好ましい個性のみをいうことが多い気がします。好ましくない個性を持つ人を『個性的な人』という場合、やや皮肉な響きが感じられる。まあ変人と言われるのが普通でしょうかね。
ところが社会にとって好ましい個性とはなんなのかと考えてみるとよく分からなくなってくるんですな。多くの人が良しとするものを果たして他と分ける特性と言えるのか。まあそういうことがないわけではないでしょうが『良い』個性を持とうとして持てるものではありますまい。
能楽などでは徹底的に型にはめることによって却って個性が輝くというような考え方があるようですがやはり西洋から来た言葉である個性という言葉にはそぐわないような気もします。
まあ結局個性という言葉があいまいに使われすぎているのかなあと思います。便利な言葉なんでしょうね、持論に都合よくいろいろな意味で使われる。多義的な言葉というのはもちろんあってよいですがこの言葉に関しては弊害が大きい。少なくとも個性的であることは本人にとって良いことばかりではないことははっきりさせておくべきかと思います。


話は変わりますけれど一体西洋からきた言葉というものは多くわれわれ日本人にとって無駄な思考を強いる感じが否めない。たとえば『目立つ』という言葉を使えばそこにプラスの意味、マイナスの意味、ともに含みうることは自ずと了解されるのではないでしょうか。