すべからく〜言葉の誤用〜

「すべからく」という言葉は漢文のいわゆる再読文字で「べし」などと結んで、要するに「〜すべきだ」というようなことを表すので、当然「すべて」ていう意味で使うのは誤用である。この誤用についてはわざと難しい言葉を使おうとして浅学さを表すという恥ずかしさのようなものがあると思う。


ところで私の周りには言葉の誤用について、ある程度一般化したものは誤用ではないとする人が多い。私の周りと書いたがこのような考え方が一般的のように感じる。実際言葉の意味が変化すると言うのは当然のことであるからこのような考え方も当然のこととして受け取られるようだ。


実際言葉の乱れなどということを指摘する時それが何を意味するのかあいまいなことが多い気がする。国語審議会などがそういうことをするとお上から何が正しいということを強制されている気がして反発を覚えるということもあるだろう。そもそも「本来こういう意味だ」という指摘自体が権威主義的な要素を含んでいるとも言える。


であるから言葉の誤用を指摘することにどうしても躊躇したりすることになりますます誤用は広がっていく。言葉を道具として考えるとこうなるのであろうか。少し悲しい気がする。


ところで冒頭のような誤用を恥ずかしいと感じるのは誤っていることになるのだろうか。