生と死と代償

友達に二人目の娘が生まれました。その友人というのは男ですが、生まれたての子供というのはどうにもいまいち愛情が湧かないようで。曰く二歳になる長女のためなら死ねるが次女のために死ねるかといったら、う〜む…といったところが正直な感想と。
柔らかな頬
柔らかな頬
そういえば桐野夏生の"柔らかな頬"の女主人公も子供のかわいさにも差があると言ってましたね。ところでこの本、最近読んだ中ではかなり面白かったです。Amazonの商品の説明から引用します。

ミステリーもこんな地平までたどり着いた、と言うべきか。あるいは、もはやミステリーではない、と言うべきだろうか。カスミはデザイナーの男と不倫関係にあり、家族を捨てることも考えていた。カスミが男と一緒にいる時、娘の有香が行方不明になる。彼女は罪の意識に呵まれ、娘を捜すことに人生の全てを捧げる。他方、末期がんの元刑事が1人、残り少ない人生をかけて有香を探そうとしていた……。親の愛情不足が子供を歪める、との論が最近よくメディアなどで叫ばれている。カスミはこの非難を全身で受け止め、キレてしまった。彼女こそ現代社会の被害者だ。直木賞受賞。(石飛徳樹)

確かにこれはミステリーではないですな。ミステリーだと思って読むと、いい意味で裏切られるでしょう。傑作だとおもいます。


閑話休題。友人の場合は生まれたばかりでいまいち実感がわかないというとこなんでしょうが、その友人はかつて、誰かのために死ねるということはないと言っていたので、娘のために死ねるという、一見普通の発言も印象にのこったのでした。


ところでみなさんは誰かのために死ねますか?僕は死ねるような気がします。しかも結構いろんな人のために。それは博愛的な気持ちではなく、せいへの執着がすくないということかもしれません。もちろん言ってるだけでいざとなったらということもありうる。


まあそんな意地悪な見方はやめてさ、誰かのために死ねるとして、それでもその死に方というのを考えた時、ことは簡単でないなあと思うのです。痛いのは嫌。拷問のように残酷な殺され方をするとしたら…と考えると恐ろしくて、やっぱやめたと言いたくなるのさ。


自分の生への執着がすくない時、それこそ見ず知らずの他人のために死ねるかもしれない。しかし痛かったら断るね。じゃあどんな死に方でも構わないと言える対象がいるかというと、今のところいないかもしれない。今度その友人にも聞いてみよう。もちろん断った場合は娘が地獄の苦しみを受ける。おにいさんが天国に連れてってあげるよ。


ところで割り合い誰のためにでも生を捨てることが出来て、痛みは勘弁、といった場合、私にとって死よりも痛みの方が重大ということになるのだろうか。なんかそれって生物としてどうなんだろう。