エレジーちゃん♪

悲しみさん、こんにちは。


これは悲しみという抽象名詞を擬人化した用法である。*1人はどんな時悲しみさんと出会ってしまうのか。今まさに悲しみさんとご一緒してる私が考えてみる。


僕は悲しみさんとは親しいけれども好きかと問われれば「そういう好きとかいうのとはちょっと違うんだよなぁ。」と答えるだろう。これはちょっと長年連れ添った夫婦とかと似ている。と喩えてみたのは初めに擬人化したのを生かしたかったからであって特に巧い喩えでないことは重々分かっている。


悲しみさんがどういう時にやってくるかと言えば何かを失った時。そしてそれを受け入れざるを得ない時。悲しみさんはその何かの代わりにやってくる。


悲しみさん、こんにちは。
悲しみさんは優しいんだね。


人は何かを失うことで成長するという。本当だろうか。それは悲しみさんと出会うことであるが本当のことを言えば僕は悲しみさんを憎んでいるんだ。人生が失うことの連続であるなら初めから所有しなければいいんだ。


素がん(糸偏に丸の漢字)描かず意高いかな
もし丹青をつければ二に落ち来る
無一物中無尽蔵
花あり月あり桜台あり


 蘇東坡


悲しみさんは優しいけれど本当のことを言うと嫌いだ。人生がこんなに悲しみさんでいっぱいならば、今度生まれ変わる時には胡蝶になろう。胡蝶は悲しみさんとは疎遠であると信じて。


昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。


 『荘子』より

*1:ある女友達の夢の話なんですが、彼女はその夢でなぜか源氏名を持つ身の上にあり、自分の事を、「エレジーです♪」と名乗っていたそうです。夢とはいえ脱帽のセンスです。