原体験

あれは中学一年の遠泳大会の時のことでした。下田に3泊して3日目に大会が行われるというものでした。私は腸弱の人にしばしば見られるように旅先では逆に便秘になる傾向があります。とはいえ真性の便秘ではありませんから3泊というのはぎりぎりの線です。さらに海水に長時間浸かるという条件が重なればそれは起こるべくして起こったというべきでしょう。事件はやはり大会直後に起こりました。


大会後、宿舎に戻るわけですがとりあえず尿意を催したので海近くにある便所へ行きました。クラスメイトも数名おりました。もはや定かではありませんが便所に入った時点で便意を感じ始めたと記憶しています。一応便所の構造を説明しておくと男子便所にありがちな数個の小便器と1,2の大便器のハイブリッド形式です。海近の便所にありがちなように異常に汚かったことも大を躊躇わせたかもしれませんがやはり中学生、クラスメイトの前で大をするのは自殺行為です。小のみで我慢することにしました。もうお分かりかと思いますが出ました。ええ、出ました。小をする筋肉の弛緩と同時に出ました。ブリッて。


ここに私に幸いする条件が3つありました。1つ、出たとはいえ3日便秘状態にあったうんこは固形であり便所内のクラスメイトは気付いていない様子であること。2つ、5クラス中私はE組であったので宿舎へ戻るのが最後であったこと。3つ、私は人気者でなかったため私が便所からなかなか出なくても誰も待っていてはくれなかったこと。


ここで一人になってから大便器で処理をすればよかったわけですが何故かそうはしませんでした。後ろに教頭先生がいたからかもしれませんがテンパっていただけかもしれません。いや、もしかしたら一応大便器で応急処置は施していたかもしれません。とにかく数分後、私はクラスメイトと教頭先生にはさまれ、海水パンツにうんこを収納しつつ歩いていました。その間、前後30メートルほどでしょうか。後ろを振り返ると教頭先生は木の枝をもって道のわきの草などを掻き分けながらのんきに歩いています。童心に帰った自分を楽しんでるのでしょうか。決してその歩みは速くはないのですが、前方のクラスメイトたちもふざけあいながら進んでいるのでその差はだいたい一定でした。宿舎まで約10分。その間にこの収納物を処理しなくてはなりません。私は意を決してパンツに手を突っ込みうんこを鷲づかみにして草むらに投げ捨てました。


私が先ほど応急処置は施したかもしれないと曖昧な言い方をしたのには訳があります。結果から言うとその応急処置はしていたとしてもしていなかったとしても同じことだったのですもの!ご存知ですか?うんこが固形であり且つ立った状態ではうんこは出きりません。歩くたびにブリッ。歩くたびにブリッ。 私はちぎっては投げ、ちぎっては投げ・・・。


さすがに宿舎につくころには出きったようでした。ここが最後の関門です。宿舎に着くとまず足洗い場で足を軽く洗い風呂場へ直行します。やはりちぎっては投げちぎっては投げではこびりついたうんこは処理できません。ここで私は一世一代の大芝居を打つことにしました。


当時なぜか私のお尻はかわいいと言われ、『チャームなお尻』ともてはやされていました。そこで私はその足洗い場でおどけた振りをして「チャームなお尻を洗いましょ。チャームなお尻を洗いましょ。」と軽く節をつけながら泥水でお尻を洗ったのです。「チャームなお尻を洗いましょ。」って!お前、別になんも面白くないし。と今なら思いますが中学生はまだまだ下品ネタならそれだけでうけるのです。何より私にそれ以外の選択肢があったと思いますか?私は小さいころから引っ込み思案でそんなおどけたことをするキャラではないのです。私は今でもあの時とった行為を英断だと誇りに思っています。


しかし皆さん知っていますか?うんこってすごいんですよ。紙を突き破って爪にこびりついたうんこの匂いもなかなかとれませんよね?一世一代の大芝居を打った私をあざ笑うかのようにパンツには決して誤差の範囲とは言えない量のうんこがこびりついており、風呂場の中でさらにそれを処理する格闘が続いたのですが冗長になりますしそろそろ終らせて頂きます。
最後に一つだけ。童心に帰り草を掻き分け掻き分け歩いていた教頭先生はうんこを見つけたでしょうか。いや、さらに言えば子供というのは常に判断が甘いものですので私が教頭先生には見えていないと判断した距離は適切だったのでしょうか。ふざけあう子供たちとは違い、一人歩く大人にしてはやや不自然な速度は教頭先生の優しさだったのかもしれません。