ペルーの日本大使公邸占拠事件とフジモリ大統領

ぼやきくっくり | 「アンカー」ペルー日本大使公邸人質事件の真実
『5/23放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”』からの聞き取りだそうです。
1、フジモリ大統領は日本人はみな死ぬものと思って武力突入した。
2、なぜ助かったかというとゲリラの少年(アマゾンのジャングルから50ドルで買われてきた)が引き金を引かなかったから。(日本人人質の証言)
3、なぜ日本人の人質が死んでも構わないと判断したかというと"俺に向かって反抗するな"という国民へのメッセージ。(ペルー人の運転手が言った)
4、その(みせしめの)ため喉をザクロのように切り裂いたり、四肢を切断したりした。
5、日本が平和的解決を望んだのを初めは拒否したが、次にそれを受け入れた振りをし、その間時間を稼ぎ武力突入に備えた。(元外務省高官の話)

という主張のようですが。
4については下のエントリーで冷静に分析してますが、ま、納得ですよね。
10年前のペルーの人質事件と、人権団体の反応 - good2nd

さてフジモリ大統領については善人説と悪人説とありますが初めのリンク先は完全に悪人説の方ですね。以前読んだ本では善人説で書かれていたので紹介します。岸田秀の『古希の雑考』の中の『わが友アルベルト・フジモリ』という一文です。
全体を要約する気力はありませんが、そんなに長い文でもないので興味のある方は立ち読みでもしたらいいんじゃないでしょうか。
関係あるところだけ少し引用します。
古希の雑考
古希の雑考

さて件のテレビ番組は、あの事件の中であってはならない虐殺が行われた疑いがあるという裁判が最近ペルーで始まったということで、この問題を取り上げたようなのですが、ペルーの裁判について(この裁判についてではないですが)

一部の日本人が「潔白なら、故国に戻って裁判を受け、堂々と主張を貫けばいいのに、卑怯未練にも日本に逃亡して身を隠しているのは、やはり、後ろ暗いところがあるのではないか」とフジモリを非難しているようであるが、この意見はあまににも自己中心的だと言っておこう。(中略)彼らは現政権下のペルーで、日本の裁判と同じような裁判が行われ得る、正しいことなら堂々と主張すれば必ず通ると頭から信じ込んでいるのである。今、フジモリがペルーに帰れば、マルコス政権下でフィリピンに帰ったアキノと同じ目に遭わないという保証はない。(中略)さらに彼らが気軽にあれやこれやの罪科をおっかぶせてフジモリを告発するのは、次のような法的理由もあると考えられる。
ペルーの法律のことはよく知らないが、ペルーには誣告罪というのがないそうである。あることないこと因縁をつけて人を告訴し、まったくデタラメであることがわかっても、何ら罰せられないそうである。

また、2などがそうでしょうが、人質だった日本人外交官、大使館員がフジモリを非難することについて

日本大使公邸占拠事件で人質になっていた日本人外交官、日本人大使館員の一部にフジモリ悪人説を説く人がいる。(中略)彼らは、フジモリの武力突入作戦は必要ではなかった、日本政府は相当の身代金を出す用意があった、身代金を払って、さらに獄中の同志の何人かの釈放に応じてやれば、事件は平和的に解決できたはずだ、そうしていれば一人の人質も、二人の救出隊員も、まだ子供みたいであったあの女の子を初め、テロリストたちも死なずにすんだのだ、われわれも百二十六日間もの間、苦しみと恐怖のうちに過ごすことはなかったのだ、とでも考えているのであろうか。しかしフジモリはそうは考えないであろう。テロリストの何人かの釈放などと気軽なことを言わないでもらいたい、その一人一人を逮捕するのにどれほどの犠牲が必要だったか、そのために警官や軍人が何人も死んでいるのだ、(中略)
わたしは国際法にはからきし不案内であるが、とにかく日本大使館は日本の主権下にあるにしても、日本大使公邸はどうなのであろうか。フジモリはここはグレーゾーンであるとして武力突入作戦に踏み切ったが、事件のあいだ、日本政府は日本大使公邸は日本の主権下にあるとして、フジモリに対していた。しかしこの前提に立てば、公邸がテロリストに占拠されたのは日本側の責任、具体的には青木盛久大使の責任であることになる。リマの市街にテロリストが跋扈していたのはフジモリ政府の責任であろうが、公邸の玄関から誰を入れるかは青木大使の権限のはずだから、公邸にテロリストの侵入を許したのは大使の責任のはずである。テロの危険を警告されていたにもかかわらず、情勢判断を誤り、必要な警戒をしなかった彼の軽率さが事件を招いたのは明らかなのだから。(中略)
人質になっていた日本大使館員の一部の者が、助けられたことをフジモリに感謝するどころか、逆に非難の急先鋒に立っているのは、フジモリに感謝すれば、外務省の非を認めることになるからである。