兼好と徒然草

つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。


言うまでもなく僕の大好きな徒然草の序段、これで全文である。この短い文の中にも解釈をめぐっていまだ決着をみない点もある。特に重要なのは『あやしうこそものぐるほしけれ』という部分であるがここは大変興味深い。


徒然草を通して読んでみるとそこかしこに矛盾した記述が見られる。これを兼好の思想的変遷と見るとこの書を大きく見誤るのではないかと思っている。


もちろん単純なミスのようなものもあるだろうしたいして意味なく語ったこともあるかもしれない。しかし兼好は矛盾を矛盾として気付いていたとしてもそう書いたと思う。


『あやしうこそものぐるほしけれ』


ものを書くものはよく考えてみるとよいと思う。


一般に物を書くという行為は思想を整理するのに役立つといわれ、確かにその通りだと思う。しかしこと兼好に関してそれが当てはまるかどうか僕は甚だ疑問であると思うしそれが兼好にこの『あやしうこそものぐるほしけれ』という告白をさせたのではないかと思う。そしてまた兼好のその矛盾を矛盾として受け入れる強靭な自我がこの稀有な作品を生んだのだと思う。

つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。