序段

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯(すずり)に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂(ものぐる)ほしけれ。

誰でも知ってるこの文。怪しうこそ物狂ほしけれという部分には色んな解釈があるようだけど、色んなとこで色んなタイプの駄文を垂れ流してきたものとしては、書くことによって現実と思考の不可避的な断絶に感じるものがあったのではと推測。でもその気持ちは必ずしも不快なものとは限らないんだけどね。文を書くってのは書くこと自体がすごく面白いことだよ。まあどうなんでしょうね。人の文に自分が映るというからね。